この間からこのブログでも「佐藤姓」のルーツを探っているのですが、調べれば調べるほど、ちょっと不思議な現象に出くわしています。
それはどういうことかと言えば、普通の名字だと、たとえば関東と関西と九州におなじ名字があるとして、
1)関東の○○という名字は、もともとは源氏で、これこれという経緯でどこそこに住み着いて○○を名乗った。
2)関西の○○は、○○村の名前からとった。
3)九州の○○は、もともとは別の△△の子孫だが、どこそこを拠点として○○になった。
みたいな話がそれぞれ見つかるのです。
ところが、佐藤さんの場合は、全然違っていて、
1) 関東の佐藤は、戦国時代にいきなり佐藤だれそれという人物がどこそこに登場。それより前はよくわからん。
2)東北の佐藤は、A地区にいきなり佐藤だれそれがいたことが記録にある。B地区にも佐藤だれそれという別のグループがいる。それぞれ、その前はよくわからん。
3)中部地方にも、鎌倉時代の記録に佐藤ほにゃらら突然登場。そこから前は、藤原氏だと言われている。
って感じなのです。
ね?不思議でしょ?!
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こういう謎をまとめると、以下のようなことが言えそうです。
☆ 佐藤さんのルーツは、もともと藤原氏で、藤原公清が「左衛門尉(さえもんのじょう)」という役職についた藤原氏の末裔だから佐藤になった説。
☆ 佐藤姓のルーツは、「佐(すけ)」という補佐官的な役職についた藤原氏からはじまった説。
☆ 佐藤氏のルーツは、佐渡に渡った藤原氏だったので「佐藤」になった説。
☆ 佐藤は、下野国佐野荘を拠点とした一族が由来の説。
まず、これらがベースだとして、そこからいきなり全国各地の各「佐藤さん」へと飛びまくるわけで、やっぱりこれは不思議なことですね。
東北地方の佐藤氏は、(福島県の)信夫地方に拠点をおいた信夫佐藤氏と奥州藤原氏の勢力の関係から、この地方に佐藤姓の勢力が強かったことは概ね分かっていますが、すべてがすべてこの系統というわけでもなさそうなので、べつの理由もありそうです。
姓氏研究家の森岡浩さんは、
”『佐藤』という名字で戦国大名になったり、公家や主要な神官になった例はあまりない。
一般に家臣が主君と同じ名字を名乗らないので、『佐藤』はトップの地位ではないために増え続けて、その結果、日本で最も多い名字になったのでは”
という旨のことをおっしゃっているようですが、 なるほどそれも一理ありそうです。
でも、戦国時代ごろまでは、大名でこそないものの「有力武将」クラスだと佐藤さんはたくさんいるので、これも結果論かなあ、という気もします。
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実は、名字というのは「関東型」と「関西型」というのがある程度はっきりわかれていて、
佐藤・鈴木
は関東型の代表格、
田中・山本
は関西型の代表格だといいます。
ここでもうひとつ不思議なことがあって、わたしは個人的にですが
「佐藤と鈴木は、明らかに一般的な名詞じゃない名前」なのに対して、
「田中・山本は、逆に明らかに一般的な、場所の状況を表した名前」だ
と思っています。
なーんか不思議じゃないですか?
たんぼの中、山のふもと、なら誰でもどこでも名づけられそうですが、「佐藤と鈴木」は日常生活から生まれた普通の名前とはどう考えても思えませんよね?
このあたりにも何かヒントがありそうだと思っています。
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