前回、ふと気づいてしまっただけなのに、とても反響が大きくてビックリしてしまった
「真田丸原作に小保方さんが出てくる件」
http://myoujimania.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html
(月曜から夜更かし風に(^^))
ですが、解決の糸口が。
武田研究の歴史学者、丸島和洋さんからツイートで
https://twitter.com/kazumaru_cf/status/737951471694553089?lang=ja
”沼田城付近に下川田という場所があり(砦があった模様)、そこの有力者(土豪クラス)のひとりが小保方氏です。信幸が行った天正・文禄の検地帳が残ってまして、そこに頻出します。なお、文禄検地は矢沢頼綱最後の仕事でした。”
という重要な情報をいただきました!
検地帳というのは、年貢の土地台帳みたいなもので、ようするにその土地が「どれくらいの収穫があるのか」「誰のものか」などを記録するためのものです。
沼田城は、戦国時代には矢澤のおっちゃんが支配していて、その後色々あって、後に大泉兄ちゃんのものになるわけですが、
小保方一族は、この辺りに住んでいて、禰津氏の家臣になっていた。
ということがわかったわけですね。
なので、禰津氏も矢澤氏も真田氏と協力関係にありましたので、小保方氏も真田方ということになっていたわけです。
ぜひ!大河ドラマ真田丸にも、小保方という家臣が出てくればいいなあ!と思います(^^
だって史実なんだからいいじゃないですか。
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さてさて、でも、真田氏の家臣筋になっているこの小保方さんが、あの小保方さんとどうつながってくるか、ということはやっぱり地理的な状況を確認しておかなくてはいけません。
沼田城は、現在の群馬県沼田市にあり、この地域は旧名では
「上野国利根郡沼田」
という地域に当たります。
一方、小保方姓の発祥である群馬県伊勢崎市の東小保方/西小保方は
「 上野国佐位郡東小保方村・西小保方村」
という地域でした。
というわけで、この二つの地域は、
沼田
渋川
前橋
高崎 伊勢崎
みたいな位置関係で、30Kmぐらいしか離れていません。
おそらく戦国時代には、伊勢崎から北上して沼田で活躍していた小保方一族がおり、矢澤氏や禰津氏の支配下について真田氏とも協力していたのかもしれませんね!
さて、その小保方一族、そのルーツは
「毛野氏から出た上毛野朝臣末裔」
とされていて、小保方以前は
「生形(うぶかた)」
という表記もあったようです。
もちろん、現在でも「生形(うぶかた)」さんという名字の方が、おなじ地方にたくさんおられます。
毛野氏は、第10第の崇神天皇の子供からつながる、という伝承を持っていて、「上毛野」「下毛野」氏に分かれますが、それがそのまま
「上野国」「下野国」
の名前の由来にもなってゆきます。 まさに、古代の群馬・栃木地方の支配者で、名族と言えますね。
ただ、実際には、中央から派遣された一族と、在地の地元豪族とが、ゆるやかにつながっていった氏族ではないか、とも考えられています。
さあ、これですっきり謎が解けました!(^^
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