こんにちは。
たまごっち、というおもちゃが誕生して、はや20年も経つそうですが、うちにもいくつかあったなあ!
というわけで20周年モデルがバンダイさんから登場するとのことなのですが、
tamagotchi m!x の特設サイト
http://tamagotch.channel.or.jp/tamagotchi/
今回のたまごっちの仕様が、なんとも凄いんです!!
どんな風にすごいのかと言うと、そりゃもう「名字まにあ」的には、まず第一の機能がこれ!
<すごいところ1>
20世代までの家系図が見られる!!
私のおうちの家系図すら見られないのに、たまごっちの家系図が見られるというのが凄いです。
というのも、今回のたまごっちは、MIXというだけあって、2つのキャラクターの遺伝子を引き継いだ
「こども」
が作れてゆくのだそうです。
うーん、まさに家系ができていく感じ(^^
さらに、友達のたまごっちとの間にこどもを作るという恐ろしいのかすばらしいのかわからない機能がついて、
まさに婚活!そして妊活
がたまごっちの中で起きてしまうというすごさ!
<すごいところ2>
復活?!たまごっちが死ぬ機能。
そして、今回の新しい試みは、物議をかもした「死ぬ」機能が復活するところ。
一時期のたまごっちは「死なない」仕様だったようですが、今回は「死ぬ」ことがあるそうです。
そして、その理由がすごい!
「何代も続いた家系が、絶滅することがあることを表現」
しているのだそうです。
ひええええ!!!重い、重すぎるわ!!!
名字まにあ、な私も、身につまされてしまうそうな、
家系断絶
までやってのける新たまごっちは、本当にすごいです。はあ・・・。やっぱり少子化をとめなきゃね。
2016年6月10日金曜日
2016年6月4日土曜日
真田丸と小保方さん! 解決篇 〜小保方さんは真田さんと協力関係にあった?!〜
前回、ふと気づいてしまっただけなのに、とても反響が大きくてビックリしてしまった
「真田丸原作に小保方さんが出てくる件」
http://myoujimania.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html
(月曜から夜更かし風に(^^))
ですが、解決の糸口が。
武田研究の歴史学者、丸島和洋さんからツイートで
https://twitter.com/kazumaru_cf/status/737951471694553089?lang=ja
”沼田城付近に下川田という場所があり(砦があった模様)、そこの有力者(土豪クラス)のひとりが小保方氏です。信幸が行った天正・文禄の検地帳が残ってまして、そこに頻出します。なお、文禄検地は矢沢頼綱最後の仕事でした。”
という重要な情報をいただきました!
検地帳というのは、年貢の土地台帳みたいなもので、ようするにその土地が「どれくらいの収穫があるのか」「誰のものか」などを記録するためのものです。
沼田城は、戦国時代には矢澤のおっちゃんが支配していて、その後色々あって、後に大泉兄ちゃんのものになるわけですが、
小保方一族は、この辺りに住んでいて、禰津氏の家臣になっていた。
ということがわかったわけですね。
なので、禰津氏も矢澤氏も真田氏と協力関係にありましたので、小保方氏も真田方ということになっていたわけです。
ぜひ!大河ドラマ真田丸にも、小保方という家臣が出てくればいいなあ!と思います(^^
だって史実なんだからいいじゃないですか。
\\\\\\\\\\
さてさて、でも、真田氏の家臣筋になっているこの小保方さんが、あの小保方さんとどうつながってくるか、ということはやっぱり地理的な状況を確認しておかなくてはいけません。
沼田城は、現在の群馬県沼田市にあり、この地域は旧名では
「上野国利根郡沼田」
という地域に当たります。
一方、小保方姓の発祥である群馬県伊勢崎市の東小保方/西小保方は
「 上野国佐位郡東小保方村・西小保方村」
という地域でした。
というわけで、この二つの地域は、
沼田
渋川
前橋
高崎 伊勢崎
みたいな位置関係で、30Kmぐらいしか離れていません。
おそらく戦国時代には、伊勢崎から北上して沼田で活躍していた小保方一族がおり、矢澤氏や禰津氏の支配下について真田氏とも協力していたのかもしれませんね!
さて、その小保方一族、そのルーツは
「毛野氏から出た上毛野朝臣末裔」
とされていて、小保方以前は
「生形(うぶかた)」
という表記もあったようです。
もちろん、現在でも「生形(うぶかた)」さんという名字の方が、おなじ地方にたくさんおられます。
毛野氏は、第10第の崇神天皇の子供からつながる、という伝承を持っていて、「上毛野」「下毛野」氏に分かれますが、それがそのまま
「上野国」「下野国」
の名前の由来にもなってゆきます。 まさに、古代の群馬・栃木地方の支配者で、名族と言えますね。
ただ、実際には、中央から派遣された一族と、在地の地元豪族とが、ゆるやかにつながっていった氏族ではないか、とも考えられています。
さあ、これですっきり謎が解けました!(^^
「真田丸原作に小保方さんが出てくる件」
http://myoujimania.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html
(月曜から夜更かし風に(^^))
ですが、解決の糸口が。
武田研究の歴史学者、丸島和洋さんからツイートで
https://twitter.com/kazumaru_cf/status/737951471694553089?lang=ja
”沼田城付近に下川田という場所があり(砦があった模様)、そこの有力者(土豪クラス)のひとりが小保方氏です。信幸が行った天正・文禄の検地帳が残ってまして、そこに頻出します。なお、文禄検地は矢沢頼綱最後の仕事でした。”
という重要な情報をいただきました!
検地帳というのは、年貢の土地台帳みたいなもので、ようするにその土地が「どれくらいの収穫があるのか」「誰のものか」などを記録するためのものです。
沼田城は、戦国時代には矢澤のおっちゃんが支配していて、その後色々あって、後に大泉兄ちゃんのものになるわけですが、
小保方一族は、この辺りに住んでいて、禰津氏の家臣になっていた。
ということがわかったわけですね。
なので、禰津氏も矢澤氏も真田氏と協力関係にありましたので、小保方氏も真田方ということになっていたわけです。
ぜひ!大河ドラマ真田丸にも、小保方という家臣が出てくればいいなあ!と思います(^^
だって史実なんだからいいじゃないですか。
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さてさて、でも、真田氏の家臣筋になっているこの小保方さんが、あの小保方さんとどうつながってくるか、ということはやっぱり地理的な状況を確認しておかなくてはいけません。
沼田城は、現在の群馬県沼田市にあり、この地域は旧名では
「上野国利根郡沼田」
という地域に当たります。
一方、小保方姓の発祥である群馬県伊勢崎市の東小保方/西小保方は
「 上野国佐位郡東小保方村・西小保方村」
という地域でした。
というわけで、この二つの地域は、
沼田
渋川
前橋
高崎 伊勢崎
みたいな位置関係で、30Kmぐらいしか離れていません。
おそらく戦国時代には、伊勢崎から北上して沼田で活躍していた小保方一族がおり、矢澤氏や禰津氏の支配下について真田氏とも協力していたのかもしれませんね!
さて、その小保方一族、そのルーツは
「毛野氏から出た上毛野朝臣末裔」
とされていて、小保方以前は
「生形(うぶかた)」
という表記もあったようです。
もちろん、現在でも「生形(うぶかた)」さんという名字の方が、おなじ地方にたくさんおられます。
毛野氏は、第10第の崇神天皇の子供からつながる、という伝承を持っていて、「上毛野」「下毛野」氏に分かれますが、それがそのまま
「上野国」「下野国」
の名前の由来にもなってゆきます。 まさに、古代の群馬・栃木地方の支配者で、名族と言えますね。
ただ、実際には、中央から派遣された一族と、在地の地元豪族とが、ゆるやかにつながっていった氏族ではないか、とも考えられています。
さあ、これですっきり謎が解けました!(^^
2016年6月1日水曜日
真田丸原作には「小保方」さんが出てくる?! 謎の「小保方」氏族を探せ!
こんにちは。
もう一つのブログのほうで、NHK大河ドラマの原作にあたる『加沢記』を読んでいたら、
(☆「歴史まにあ」http://jpn-history.blogspot.jp/ )
なんと、とっても珍しい名字のお侍さんに遭遇したので、調べ物好きなeineとしては、探求心がメラメラと燃えてきてしまいました。
さあ、どんな人の名前が出てきたのか?というと。
「小保方さん!!!!」
まあ、びっくりですね(^o^
小保方さんといえば、STAP細胞があるのかないのかで一世を風靡したあのリケジョの方が有名ですが、名字の世界では、なんと2000人くらいしかいないという
希少な名字のおかた
に属します。
小保方晴子さんがメディアに登場した頃の東スポさんの記事でも
激レア級?の「小保方姓」
http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/14114/
というタイトルが付くくらい、基本的には珍しい姓なのだとか。
さて、この「小保方」姓。辞典類では、群馬県にルーツがあるとされています。
小保方・小保形などの表記はありますが、もともとは群馬県伊勢崎市東小保方町・西小保方町が語源で、戦国時代には、「小浦(甫)方」の表記もあったとか。
では、その群馬の小保方一族が、どうして真田丸に関係があるのか?!この謎を徹底解明しようと思いまする!
その戦国武将、小保方さんは、加沢記ではこんな風に登場します。
(出典 国立国会図書館デジタルコレクション 「加沢記」第61段)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020961
その名も
小保方半左衛門!!!
うーん。何者なのか、気になりますね!
私は、この後の「秀吉が仲裁に入って、北条と真田の領地の境を決める話」を読んでいて、小保方さんを見つけた(笑)のですが、↑ちょうどそれがココ。
小保方半左衛門が何者なのかは、もう少し前に丁寧な記述がありました。
ちょうどこの箇所の前の部分です。
ここをよく読んで見ると、こうありました。
”禰津の手の者小保方半左衛門、其の年二十九、血気盛りの若武者、茂手木を目がけて突っかかれば・・・”
状況を整理しますね。場面は、真田丸で言えば、沼田城に陣取っているおっちゃんこと、矢澤頼綱さんをまず思い出してください。
この人は、真田昌幸の叔父さんです。
で、沼田城を攻めてきたのが、由良信濃守や猪俣邦憲なわけですが、彼らは北条氏側だと思ってください。
(ついでに言えば、話に出てきた茂手木とは、茂手木弾正忠のことだと最初のほうに書いてあります)
一方、禰津というのは禰津幸直のことで、こちらは真田(矢澤)側です。
加沢記を全体を通して読んでいるとわかるのですが、
真田一族
矢澤のおっちゃん
出浦さま(はあと)
禰津さま
ぐらいの立ち位置です。大河には出てくるかよくわかりませんが。
そもそも、信濃には滋野氏という名族がいて、その一族が3つに分かれて「海野・望月・禰津」の3氏が滋野三氏と呼ばれています。
真田一族は、公式には、滋野嫡流とされた「海野氏」に系図をつなげていますが、実際には、禰津の氏族だった可能性が高く、なるほどこの話に禰津氏が登場するのも頷けます。
小保方さんは、禰津氏の家臣だったようですね!
しかし、信濃小県の狭いエリアの根津氏を想定すると、そこに群馬の小保方氏族がいるというのはちょっとハテナです。
なので、根津氏支流あるいは遠縁の小保方氏がいそうだなあ、と思うのですが、まだそこまで調べ切れていません。
ということで、このお話は研究を続けてみようと思います!!
今日はここまで(^^
追記:よく考えたら、沼田城って群馬だった!!!てへぺろ。
ということは、小保方一族のほうが、沼田の地元の氏族ってことか!
信濃からきた禰津氏の支配下に入ったって感じですね。
じゃあ、やっぱり小保方さんのご先祖一族ってことなの?!
もう一つのブログのほうで、NHK大河ドラマの原作にあたる『加沢記』を読んでいたら、
(☆「歴史まにあ」http://jpn-history.blogspot.jp/ )
なんと、とっても珍しい名字のお侍さんに遭遇したので、調べ物好きなeineとしては、探求心がメラメラと燃えてきてしまいました。
さあ、どんな人の名前が出てきたのか?というと。
「小保方さん!!!!」
まあ、びっくりですね(^o^
小保方さんといえば、STAP細胞があるのかないのかで一世を風靡したあのリケジョの方が有名ですが、名字の世界では、なんと2000人くらいしかいないという
希少な名字のおかた
に属します。
小保方晴子さんがメディアに登場した頃の東スポさんの記事でも
激レア級?の「小保方姓」
http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/14114/
というタイトルが付くくらい、基本的には珍しい姓なのだとか。
さて、この「小保方」姓。辞典類では、群馬県にルーツがあるとされています。
小保方・小保形などの表記はありますが、もともとは群馬県伊勢崎市東小保方町・西小保方町が語源で、戦国時代には、「小浦(甫)方」の表記もあったとか。
では、その群馬の小保方一族が、どうして真田丸に関係があるのか?!この謎を徹底解明しようと思いまする!
その戦国武将、小保方さんは、加沢記ではこんな風に登場します。
(出典 国立国会図書館デジタルコレクション 「加沢記」第61段)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020961
その名も
小保方半左衛門!!!
うーん。何者なのか、気になりますね!
私は、この後の「秀吉が仲裁に入って、北条と真田の領地の境を決める話」を読んでいて、小保方さんを見つけた(笑)のですが、↑ちょうどそれがココ。
小保方半左衛門が何者なのかは、もう少し前に丁寧な記述がありました。
ちょうどこの箇所の前の部分です。
ここをよく読んで見ると、こうありました。
”禰津の手の者小保方半左衛門、其の年二十九、血気盛りの若武者、茂手木を目がけて突っかかれば・・・”
状況を整理しますね。場面は、真田丸で言えば、沼田城に陣取っているおっちゃんこと、矢澤頼綱さんをまず思い出してください。
この人は、真田昌幸の叔父さんです。
で、沼田城を攻めてきたのが、由良信濃守や猪俣邦憲なわけですが、彼らは北条氏側だと思ってください。
(ついでに言えば、話に出てきた茂手木とは、茂手木弾正忠のことだと最初のほうに書いてあります)
一方、禰津というのは禰津幸直のことで、こちらは真田(矢澤)側です。
加沢記を全体を通して読んでいるとわかるのですが、
真田一族
矢澤のおっちゃん
出浦さま(はあと)
禰津さま
ぐらいの立ち位置です。大河には出てくるかよくわかりませんが。
そもそも、信濃には滋野氏という名族がいて、その一族が3つに分かれて「海野・望月・禰津」の3氏が滋野三氏と呼ばれています。
真田一族は、公式には、滋野嫡流とされた「海野氏」に系図をつなげていますが、実際には、禰津の氏族だった可能性が高く、なるほどこの話に禰津氏が登場するのも頷けます。
小保方さんは、禰津氏の家臣だったようですね!
しかし、信濃小県の狭いエリアの根津氏を想定すると、そこに群馬の小保方氏族がいるというのはちょっとハテナです。
なので、根津氏支流あるいは遠縁の小保方氏がいそうだなあ、と思うのですが、まだそこまで調べ切れていません。
ということで、このお話は研究を続けてみようと思います!!
今日はここまで(^^
追記:よく考えたら、沼田城って群馬だった!!!てへぺろ。
ということは、小保方一族のほうが、沼田の地元の氏族ってことか!
信濃からきた禰津氏の支配下に入ったって感じですね。
じゃあ、やっぱり小保方さんのご先祖一族ってことなの?!
2016年2月13日土曜日
苗字封筒がかわいい!! 〜名字をあしらったちょっとお洒落な封筒をみつけました〜
名字にまつわるグッズなんてのは
はんこ
くらいしか思いつかなかったのですが、なんということでしょう!
(写真は、ここかしこさんからの引用です)
ほら、こんなにかわいい封筒の
どこに苗字が隠れているか、わかりますか??
ここかしこオンラインショップさん
http://www.kokokashiko.jp/shop/product-38.html
じつは、ぱっと見ただけではわかりにくいんだけれど、名字にまつわるデザインが施されている封筒なので、自分の名字や、あいての名字をさりげなく織り込めるところが素敵だと思います(^^
全部で20種類あるそうですが、たとえば
□ 吉田さんだと「吉」をあしらったデザイン
□ ワタナベさんだと鍋をあしらったデザイン
□ 山田さんだと「山」と「田」を交互にならべてルイヴィトンみたいに(笑)
絵柄が描かれているそうです。
うーん、残念ながらeineの名字はなさそうですが、誰か友達に手紙を送るときに使えば楽しそうです。
(でも、言わないと気づいてくれないかも(^^))
\・\・\・\・\・\・\
さて、歴史まにあでもあるeineさんが気になったのは、おなじオンラインショップで売られていた
(画像は ここかしこ さんからの引用です)
武将のお面!!!!
http://www.kokokashiko.jp/shop/product-57.html
いちおう 例の3人 がモチーフなので、
天下がとれちゃいます!!!!
えらいこっちゃ。
はんこ
くらいしか思いつかなかったのですが、なんということでしょう!
(写真は、ここかしこさんからの引用です)
ほら、こんなにかわいい封筒の
どこに苗字が隠れているか、わかりますか??
ここかしこオンラインショップさん
http://www.kokokashiko.jp/shop/product-38.html
じつは、ぱっと見ただけではわかりにくいんだけれど、名字にまつわるデザインが施されている封筒なので、自分の名字や、あいての名字をさりげなく織り込めるところが素敵だと思います(^^
全部で20種類あるそうですが、たとえば
□ 吉田さんだと「吉」をあしらったデザイン
□ ワタナベさんだと鍋をあしらったデザイン
□ 山田さんだと「山」と「田」を交互にならべてルイヴィトンみたいに(笑)
絵柄が描かれているそうです。
うーん、残念ながらeineの名字はなさそうですが、誰か友達に手紙を送るときに使えば楽しそうです。
(でも、言わないと気づいてくれないかも(^^))
\・\・\・\・\・\・\
さて、歴史まにあでもあるeineさんが気になったのは、おなじオンラインショップで売られていた
(画像は ここかしこ さんからの引用です)
武将のお面!!!!
http://www.kokokashiko.jp/shop/product-57.html
いちおう 例の3人 がモチーフなので、
天下がとれちゃいます!!!!
えらいこっちゃ。
2016年2月4日木曜日
佐藤さん・佐藤姓のルーツの謎を探る 〜どうして関東・東北には佐藤姓が多いのか?!〜
この間からこのブログでも「佐藤姓」のルーツを探っているのですが、調べれば調べるほど、ちょっと不思議な現象に出くわしています。
それはどういうことかと言えば、普通の名字だと、たとえば関東と関西と九州におなじ名字があるとして、
1)関東の○○という名字は、もともとは源氏で、これこれという経緯でどこそこに住み着いて○○を名乗った。
2)関西の○○は、○○村の名前からとった。
3)九州の○○は、もともとは別の△△の子孫だが、どこそこを拠点として○○になった。
みたいな話がそれぞれ見つかるのです。
ところが、佐藤さんの場合は、全然違っていて、
1) 関東の佐藤は、戦国時代にいきなり佐藤だれそれという人物がどこそこに登場。それより前はよくわからん。
2)東北の佐藤は、A地区にいきなり佐藤だれそれがいたことが記録にある。B地区にも佐藤だれそれという別のグループがいる。それぞれ、その前はよくわからん。
3)中部地方にも、鎌倉時代の記録に佐藤ほにゃらら突然登場。そこから前は、藤原氏だと言われている。
って感じなのです。
ね?不思議でしょ?!
\\\\\\\\
こういう謎をまとめると、以下のようなことが言えそうです。
☆ 佐藤さんのルーツは、もともと藤原氏で、藤原公清が「左衛門尉(さえもんのじょう)」という役職についた藤原氏の末裔だから佐藤になった説。
☆ 佐藤姓のルーツは、「佐(すけ)」という補佐官的な役職についた藤原氏からはじまった説。
☆ 佐藤氏のルーツは、佐渡に渡った藤原氏だったので「佐藤」になった説。
☆ 佐藤は、下野国佐野荘を拠点とした一族が由来の説。
まず、これらがベースだとして、そこからいきなり全国各地の各「佐藤さん」へと飛びまくるわけで、やっぱりこれは不思議なことですね。
東北地方の佐藤氏は、(福島県の)信夫地方に拠点をおいた信夫佐藤氏と奥州藤原氏の勢力の関係から、この地方に佐藤姓の勢力が強かったことは概ね分かっていますが、すべてがすべてこの系統というわけでもなさそうなので、べつの理由もありそうです。
姓氏研究家の森岡浩さんは、
”『佐藤』という名字で戦国大名になったり、公家や主要な神官になった例はあまりない。
一般に家臣が主君と同じ名字を名乗らないので、『佐藤』はトップの地位ではないために増え続けて、その結果、日本で最も多い名字になったのでは”
という旨のことをおっしゃっているようですが、 なるほどそれも一理ありそうです。
でも、戦国時代ごろまでは、大名でこそないものの「有力武将」クラスだと佐藤さんはたくさんいるので、これも結果論かなあ、という気もします。
\\\\\\\\
実は、名字というのは「関東型」と「関西型」というのがある程度はっきりわかれていて、
佐藤・鈴木
は関東型の代表格、
田中・山本
は関西型の代表格だといいます。
ここでもうひとつ不思議なことがあって、わたしは個人的にですが
「佐藤と鈴木は、明らかに一般的な名詞じゃない名前」なのに対して、
「田中・山本は、逆に明らかに一般的な、場所の状況を表した名前」だ
と思っています。
なーんか不思議じゃないですか?
たんぼの中、山のふもと、なら誰でもどこでも名づけられそうですが、「佐藤と鈴木」は日常生活から生まれた普通の名前とはどう考えても思えませんよね?
このあたりにも何かヒントがありそうだと思っています。
それはどういうことかと言えば、普通の名字だと、たとえば関東と関西と九州におなじ名字があるとして、
1)関東の○○という名字は、もともとは源氏で、これこれという経緯でどこそこに住み着いて○○を名乗った。
2)関西の○○は、○○村の名前からとった。
3)九州の○○は、もともとは別の△△の子孫だが、どこそこを拠点として○○になった。
みたいな話がそれぞれ見つかるのです。
ところが、佐藤さんの場合は、全然違っていて、
1) 関東の佐藤は、戦国時代にいきなり佐藤だれそれという人物がどこそこに登場。それより前はよくわからん。
2)東北の佐藤は、A地区にいきなり佐藤だれそれがいたことが記録にある。B地区にも佐藤だれそれという別のグループがいる。それぞれ、その前はよくわからん。
3)中部地方にも、鎌倉時代の記録に佐藤ほにゃらら突然登場。そこから前は、藤原氏だと言われている。
って感じなのです。
ね?不思議でしょ?!
\\\\\\\\
こういう謎をまとめると、以下のようなことが言えそうです。
☆ 佐藤さんのルーツは、もともと藤原氏で、藤原公清が「左衛門尉(さえもんのじょう)」という役職についた藤原氏の末裔だから佐藤になった説。
☆ 佐藤姓のルーツは、「佐(すけ)」という補佐官的な役職についた藤原氏からはじまった説。
☆ 佐藤氏のルーツは、佐渡に渡った藤原氏だったので「佐藤」になった説。
☆ 佐藤は、下野国佐野荘を拠点とした一族が由来の説。
まず、これらがベースだとして、そこからいきなり全国各地の各「佐藤さん」へと飛びまくるわけで、やっぱりこれは不思議なことですね。
東北地方の佐藤氏は、(福島県の)信夫地方に拠点をおいた信夫佐藤氏と奥州藤原氏の勢力の関係から、この地方に佐藤姓の勢力が強かったことは概ね分かっていますが、すべてがすべてこの系統というわけでもなさそうなので、べつの理由もありそうです。
姓氏研究家の森岡浩さんは、
”『佐藤』という名字で戦国大名になったり、公家や主要な神官になった例はあまりない。
一般に家臣が主君と同じ名字を名乗らないので、『佐藤』はトップの地位ではないために増え続けて、その結果、日本で最も多い名字になったのでは”
という旨のことをおっしゃっているようですが、 なるほどそれも一理ありそうです。
でも、戦国時代ごろまでは、大名でこそないものの「有力武将」クラスだと佐藤さんはたくさんいるので、これも結果論かなあ、という気もします。
\\\\\\\\
実は、名字というのは「関東型」と「関西型」というのがある程度はっきりわかれていて、
佐藤・鈴木
は関東型の代表格、
田中・山本
は関西型の代表格だといいます。
ここでもうひとつ不思議なことがあって、わたしは個人的にですが
「佐藤と鈴木は、明らかに一般的な名詞じゃない名前」なのに対して、
「田中・山本は、逆に明らかに一般的な、場所の状況を表した名前」だ
と思っています。
なーんか不思議じゃないですか?
たんぼの中、山のふもと、なら誰でもどこでも名づけられそうですが、「佐藤と鈴木」は日常生活から生まれた普通の名前とはどう考えても思えませんよね?
このあたりにも何かヒントがありそうだと思っています。
2016年2月1日月曜日
あなたの先祖・ルーツを調べます! あなたの名字の由来をひも解いてみませんか?
名字について調べているうちに、いろいろな方の名字とそれにまつわる歴史をもっと調べたい!ということでこんなサービスをはじめてしまいました。
ココナラ
あなたのご先祖、ルーツを調べます。
↑500円で、名字から歴史上の記録や資料に基づいて、ルーツを探します!というサービスです。
「●●家のルーツ」という資料を作成してPDFファイルでおつけしようと思っています。
名字の調べ方にもいろんな方法があるのですが、基本的には、歴史に関わる文献から調べるので、
☆戸籍をとったり
☆お墓を調べたり
☆現地に行ったり
するのは難しいです。ご理解ください。
家紋の情報などがあると、ヒントになる場合がありますので、ご依頼の際には、その辺もお知らせくださるとうれしいです。
しかし、依頼してくださる方は、現れるのだろうか?!(^^;
ココナラ
あなたのご先祖、ルーツを調べます。
↑500円で、名字から歴史上の記録や資料に基づいて、ルーツを探します!というサービスです。
「●●家のルーツ」という資料を作成してPDFファイルでおつけしようと思っています。
名字の調べ方にもいろんな方法があるのですが、基本的には、歴史に関わる文献から調べるので、
☆戸籍をとったり
☆お墓を調べたり
☆現地に行ったり
するのは難しいです。ご理解ください。
家紋の情報などがあると、ヒントになる場合がありますので、ご依頼の際には、その辺もお知らせくださるとうれしいです。
しかし、依頼してくださる方は、現れるのだろうか?!(^^;
佐藤さんのルーツを調べてみました。 後編なりよ。(佐藤姓・佐藤氏の由来)
前回に引き続いて、佐藤さんのルーツ後編です。
17)新潟県の佐藤氏 …越後三条の佐藤氏は、新発田城が拠点。賀茂系神社の神主さんの系統も。本性菅原との説があります。
18) 栃木県の佐藤氏 …下野地方の佐野氏は、安蘇郡佐野村の出で、佐野の藤原氏の意味だとか。佐野村の佐藤氏は、那須一族という説も。
19)山梨県の佐藤氏 …佐藤忠信の叔父の子孫という説があります。佐藤忠信は平安末期の武将で奥州藤原氏に仕えました。歌舞伎では狐忠信として有名ですね!
20)織田信長の子孫の佐藤氏 …織田信高は別名佐藤四郎と名乗ったらしいので、その系統。
21)飛騨地方の佐藤氏 …諏訪城主に佐藤氏がいます。
22)岐阜県の佐藤氏 …こちらは蛇尾山城主。加治田城主も信長家臣になった佐藤氏。
23) 滋賀県の佐藤氏 …蒲生氏の家臣に佐藤氏がいます。
24)伊賀地方の佐藤氏 …鎌倉時代に佐藤伊賀守が着任。その子孫は伊賀氏となったそうです。
25)京都の佐藤氏 …こちらも佐藤忠信子孫という佐藤氏です。
26)但馬地方の佐藤氏 …源平時代に、城崎を拠点にした佐藤氏がいるそうです。
27)岡山〜広島地方の佐藤氏 …出自はあまり明らかではありませんが、戦国時代ごろにこの地方にも佐藤氏の記録があります。
28)香川県の佐藤氏 …香西氏の家臣。
29)佐賀地方の佐藤氏 …龍造寺氏は、佐藤氏の末裔という説があります。大村藩士にも佐藤の名字があります。
30)鹿児島の佐藤氏 …神主さんの家系として佐藤氏が記録にあります。
駆け足でまとめているので、抜けているものもあります。とりいそぎでごめんなさい。
17)新潟県の佐藤氏 …越後三条の佐藤氏は、新発田城が拠点。賀茂系神社の神主さんの系統も。本性菅原との説があります。
18) 栃木県の佐藤氏 …下野地方の佐野氏は、安蘇郡佐野村の出で、佐野の藤原氏の意味だとか。佐野村の佐藤氏は、那須一族という説も。
19)山梨県の佐藤氏 …佐藤忠信の叔父の子孫という説があります。佐藤忠信は平安末期の武将で奥州藤原氏に仕えました。歌舞伎では狐忠信として有名ですね!
20)織田信長の子孫の佐藤氏 …織田信高は別名佐藤四郎と名乗ったらしいので、その系統。
21)飛騨地方の佐藤氏 …諏訪城主に佐藤氏がいます。
22)岐阜県の佐藤氏 …こちらは蛇尾山城主。加治田城主も信長家臣になった佐藤氏。
23) 滋賀県の佐藤氏 …蒲生氏の家臣に佐藤氏がいます。
24)伊賀地方の佐藤氏 …鎌倉時代に佐藤伊賀守が着任。その子孫は伊賀氏となったそうです。
25)京都の佐藤氏 …こちらも佐藤忠信子孫という佐藤氏です。
26)但馬地方の佐藤氏 …源平時代に、城崎を拠点にした佐藤氏がいるそうです。
27)岡山〜広島地方の佐藤氏 …出自はあまり明らかではありませんが、戦国時代ごろにこの地方にも佐藤氏の記録があります。
28)香川県の佐藤氏 …香西氏の家臣。
29)佐賀地方の佐藤氏 …龍造寺氏は、佐藤氏の末裔という説があります。大村藩士にも佐藤の名字があります。
30)鹿児島の佐藤氏 …神主さんの家系として佐藤氏が記録にあります。
駆け足でまとめているので、抜けているものもあります。とりいそぎでごめんなさい。
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